粉雪の舞う場所






絶えず白い息が吐かれる。
冷たいものが顔に触れた。
歩くたびに足が埋まる。
傘はさしてはいない。もう傘を必要とするほどの量は降ってはいない。
だが、ふと足を止めて上を見上げると。
暗い雲から降り続ける白い結晶はまだ止みそうになかった。

日番谷は止めていた足を再び動かし始める。
向かっているのはひとつの建物。
本廷からは別離されている隊舎。他の隊舎よりも一回り小さい作りになっており、十三番隊よりも更に奥にあるこの建物。
死神ならば誰でも知っている隊。しかし、殆どの者が目にしたことのない隊。
特番隊。
そこへ日番谷は向かっていた。

特番隊の位置づけは十三番隊よりも更に後になる。
数字ではなく特番隊と名づけられているのは、一個隊として数えられていないからだ。
特番隊とは護廷十三隊の予備隊にあたる、補欠、補佐などの役割をする隊。
と、いうのが一般の認識だ。事実、特番隊が動くときは必ずどこかの隊と合同のことが多い。
目立って動くこともない。殆ど活動場所がないこともあり見かけるのも稀な隊ともいえる。
だが活動場所がない、見かけることも稀という部分は事実とは違う。
活動場所がないわけではない。活動が表に出ないだけだ。
見かけるのが稀なのは、隊の編成のせいだろう。
本来、護廷十三隊は一部隊が200人以上という編成にも関わらず、この特番隊は最高でも100人前後の人数が上限だという。
しかもそれは過去のことで。
現在でのこの特番隊の編成は、特番隊隊長のみというなんとも異色の隊となっていた。

更に言えば、この隊長というのがまた変わっている。

その隊長の変わった部分のせいで余計出会うことが少ないのだ。
改めてかの隊長のことを思い出すと、自然と日番谷の口から溜息が出た。
溜息もまた白い。
特番隊までの道程は真っ白な雪で埋まっている。
歩けば自分の足跡だけがついた。
他の足跡はひとつもない。
暫くして姿を見せたその隊舎を日番谷は視野に捉えた。
降り積もる雪と同じように冷たく静まり返っているその隊舎はまるで人を寄せ付けないような雰囲気を出していた。





日番谷はためらいもなく特番隊隊舎へと入り込み、慣れたように歩き続けた。
歩いている間、物音一つなかった。息も相変わらず白い。
建物の温かさは何一つ感じられない。外と同じ寒さだけが漂っている。
ただそこに雪と風がないのだけが、ここが建物の中なのだと思わせるものだった。
人の生気すら感じさせないこの建物の中に果たして目的の人物がいるのだろうか、と日番谷は少しだけ疑問に思う。
だが、それもすぐに追い払った。
考えるだけ無駄だからだ。

多分、いねぇだろうな。

それが日番谷の深く考えないで導き出した答え。
結論というより諦めに近いか。
会えるという期待は持たないことにした。

ひとつの部屋の前まで行くと、日番谷は足を止める。そして遠慮なくその扉を開ける。
そこで日番谷は驚いた。
本来、その部屋は隊長以外の班長クラスの者たちが仕事をするような部屋。
しかし、隊長しか存在しないこの隊舎は普段はどの部屋も小綺麗に片付いている。
いつも埃ひとつない。しかし、その分だけいつも人の気配を感じさせない冷たい空間となっている。
そんな部屋に珍しく温かい明かりが灯っている。
それと同時に見るも無残な程に紙という紙が散らばり埋め尽くされていた。
日番谷の眉が僅かに引きつる。
今までの溜息とは比べ物にならないほど大きな溜息をつきなくなったのをぐっと堪えた。

実はこの光景も決して珍しい光景ではない。
見慣れている者にとってはだが。

ここの隊長の変わっている部分のひとつ。
普段、何をしているかわからない分、雑用ともいえるような仕事を一度に大量に頼まれることがある。
そうなるとここの隊長は仕事以外は何もしない。
寝食まではわからないが、仕事以外をしている姿は見たことがない。
あくまで仕事だけ。つまり、片付けということをしない。
その為、一度引き出された書類は全てそのまま。床に落ちようが風に吹かれて散らばろうがまったく気にしない。
そうして出来上がるのがこの部屋の惨状ということだ。
だが、この景色を見たから日番谷は溜息を零しそうになったわけではなく。
この中から自分が必要とする書類を見つけなくてはいけないということに僅かに顔を引きつらせ、溜息をつきたくなったのだ。
元々ここに足を運んだのは仕事の為。
隊長が居座っているだろう部屋には行かず、この部屋に赴いたのも、この部屋に必要と書類が置いてある、とここの隊長直々に言葉を貰ったからだ。

この状態の中から探し出せっつーのか。

一面、紙の白さで真っ白なこの部屋からほんの数枚の紙を見つけろ、と。
暫しこの部屋を睨みつけてから、日番谷は体を反転させて足早に歩き出した。


「見つかるわけねぇだろ。結局こうなるのか……」


思わず呟いた日番谷の表情は不機嫌そのもの。
これからやろうとしていることは、先程の部屋から数枚の紙を見つけ出すよりもある意味困難かもしれない。
しかし、運がよければ短時間ですむ。
日番谷は息を吸った。


「どこにいる!特番隊隊長!」


冷え切ったこの特番隊隊舎に響き渡るかのような声を上げて日番谷はその名を呼んだ。
無論、呼んだくらいで出てきてくれるなら苦労はしない。
これが特番隊隊長が変わっていると言われているうちのひとつ。
神出鬼没。
会いたい時に会えない。会いたくない時に会う。行動範囲は予測不可能。
いや、もしかしたら長い付き合いの相手なら行動範囲はわかるかもしれない。
だが少なくともここにいる日番谷にはこのと呼んだ相手の行動範囲を理解することは出来ないでいた。
とりあえず叫んでみたものの、上記で述べたとおりこれでこの隊長が出てくるわけでもなく。
日番谷もそんなものは期待はしていない。とにかく内に溜まった鬱憤を晴らす為だけに声をだしたようなものだ。
とにかく日番谷は素早く歩く。
そうしてまた一つの部屋の前へと来た。
ここにいる可能性は限りなく低い。だが、一応確かめておくに越したことはない。
そこは執務室。
日番谷は戸を開けた。
そこで中を確認するよりも早く、冷たい風が全身を包む。
一瞬、その冷たさに顔を歪めたがすぐに中を確認した。
そこで再び先程の部屋を確認した時と同じように驚きを顔に出す。
それと同時にその顔に冷たいものが触れた。
雪。
執務室に雪が降っていた。


「なんだ……」


思わず声が零れたが、すぐにその雪の原因に気づいた。


「あの馬鹿……こんな日に窓を全開にする奴がどこにいやがる」


呆れたように呟く。
視線の先には隊長が使う机がある。更にその後ろには窓が一つ。
幅はそう広くはないが高さのあるその窓。
そこはまるで雪を呼び込むかのように完全に開ききっていた。
そしてその役目を果たすかのように見事に雪は執務室の中に入り込んでいる。
しかもどうやら随分と前から開けっ放しにされているようで。
その窓の傍の机と椅子には綺麗な新雪が積もっていた。
無論、人影はない。
日番谷はそんな雪の積もった机の傍まで歩いた。
机に近づくにつれて雪の積もり具合が増えていく。
真横まで来たときには完全に外と同じだけの雪が積もっていた。
足跡は自分のだけしかない。それは外と同じで。
日番谷は机の上に積もった雪を一箇所だけ払う。
払って見えた机の表面には何もない。殆ど何も置いてない机だった。
どうやら本日も何も置いてなかったようだ。
ここに自分の探している書類がないことに僅かに安堵しつつ、日番谷はもう一度この部屋を見渡した。
部屋に明かりはない。その為薄暗かった。
しかし窓が開いてる部分は雪が積もっているせいか僅かに明るい。
部屋の中に積もっている雪。窓からはまだちらちらと雪は降り続いている。
改めてみると不思議な空間だった。
静寂しかない。薄暗いが一部だけ明るさを持ったそんな場所。
日番谷はふと視線を外して、窓枠に近寄る。
窓枠にもしっかりと雪が積もっていた。そんな場所から外を、空を見上げる。
既に雪は粉雪程度。それでもまだ止みそうになかった。
そこから見上げた雪は、背の高い窓のせいもあるのか、空からというよりこの部屋の天井からまるで降っているように錯覚させる。


「この隊舎から雪が降ってもおかしくはねぇな」


あまりにも冷たく静か過ぎるから。
そういう思いが過ぎり、思わずそんなことを口にした。


「それは困る」


女性の声だった。
呟いた言葉に返答が返ったことに、気が抜けていた日番谷は大げさに驚いてしまった。
ビクリと肩を弾ませると、勢いよく振り返る。
振り返った先、この執務室の出入り口に一人の死神が立っていた。
それは日番谷が探していた人物。
この隊舎の主、特番隊隊長だ。
日番谷は顔を顰めた。


「お前……どこにいたんだ?」

「用……別隊舎……」


少し言葉をきつくして日番谷は問いかける。
しかし相手はその言葉にも眉一つ動かさない。無表情に口だけが動く。
しかもその口から告げられた言葉は単語だけ。
そう。これがこのという人間を変わっていると思わせるさらにもう一つの部分。
喋り方が変わっているのだ。
普段から、今のように単語のような、言葉をくっつけただけのようなものを口にする。
まともに喋れないわけではない。
長い付き合いの人物には普通に喋りかけている。何かをきっかけにふと普通の喋り方をすることもある。
だが、どうやら基本はこの喋り方のようだ。
一体、なにを基準に喋り方を区別しているかはわからない。
こんな喋り方で会話が成立するわけがない。少なくとも目の前の相手をよく知らない相手にとっては。
だが、日番谷にとってはもう慣れたこと。
単語を聞いただけでも意味がわかるようになっていた。


「別の隊に用事があるんなら、せめて俺に渡す書類くらい別にしとけ。それと窓は閉めとけ!どうすんだ、ここのこの惨状を」

「すまん……書類、別で……けど窓は……」

「窓は?」

「……いや。……書類、ここ」

「持ってたのかよ」


入り口に立っていたが中に入り、日番谷の傍にまで行くとどこからともなく数枚の紙を差し出した。
それは日番谷が求めていた書類で。
探し出すのは苦労するだろうと予想していただけに、あまりにもあっさりと目的が果たせてしまい、今度は肩を落とす。


「お前、書類は別の部屋にあるって言ってただろう……」

「言った。別に。……わからなくて、取りに。思い出して、ここ、渡す」


言った。別の部屋にあると。だが、多分わからないだろうから取りにいった。日番谷が取りに来るだろうと思い出して、ここにきてみたらいたので渡す。
それが正しい言葉だろう。
これだけの単語でここまでわかるようになった自分を褒めてやりたい。
日番谷は苦笑を浮かべる。


「そうか……」

「日番谷」


相槌を打ちながらから渡された書類を受け取ると、ふいにが名を呼ぶ。
呼ばれるがままにの方を見るが、先程までいた場所にいない。
気づけば雪が積もった窓枠に手をかけて外を見ていた。
雪に埋もれた手がやたら白く見えた。
一瞬だけ、が周りの景色と同化したかのように、ひとつのものとして日番谷の目に映る。
はっと息を飲む。声は出なかった。
呼ばれた声に返事を返さないでいたら、はゆっくりと日番谷のほうを向く。
表情はまだ一度も変わらない。


「似合っている」


主語はない。さすがにこれには日番谷も眉根を顰める。
だが、珍しくの言葉は続いた。


「雪が、お前に。よく似合ってるよ、日番谷」


さすが氷雪系を扱うだけはある、とまで言葉を付け足してくれた。
久々に聞くまともな言葉とその内容に思わず日番谷は言葉をなくす。
雪が似合う、という言葉は他にも言われたりはする。安易な想像がそう言わせるのだろう。
しかし、まさかこの隊長の口からまともな言葉で耳にするとは思わなかった。
意表を突かれた。
まさにそんな感じだった。
一瞬、沈黙が漂った。しかし、深く呼吸することで日番谷は落ち着きを取り戻す。
それからと同じように窓枠に手を置いた。
雪の冷たい感触が直に伝わる。


「よく言われる」

「だろう、な」

「なんで今それを言ったんだ?」

「さっき……空、見上げて……見た」

「て、見てたのか。いつからいたんだ」

「日番谷が部屋に入ってくのを見かけて」


ならその時に声をかけろ、と思わず声が出掛かったがそれを口に出すことはやめた。
かわりに溜息をひとつ。
ここに来るまでどれだけ溜息をついただろうか。
彼女の傍にいて溜息をつかなかったことなど両手で数える程度しかない。
しかし、この溜息を嫌悪を交えてついたことはない。
呆れはする。だが、それが嫌だとは思わない。
だから何気なく彼女に会おうと思えるのかもしれない。
そこまで考えて日番谷は苦笑を漏らした。
そして、ここに来たときと同じように空を見上げた。
やはりこの隊舎から粉雪が舞っているように見えた。


「日番谷」


に再び呼ばれる。
しかし今度は振り返らなかった。
も同じく空を見上げているのだとわかったから。
かわりに言葉で返事をしようと口を開きかけるが、その返事を待たずにから言葉を続けられた。


「私にも似合うだろうか?この雪が」


その言葉に軽く目を見開いた。
なぜ?と問い返す前に日番谷の脳裏にひとつのイメージが過ぎ去った。
という人物を思い浮かべて浮かんだ其の光景。
桜。
しかも昼ではない、夜の桜。夜桜。
日番谷はふっと小さく息を漏らして口の端だけで笑う。



「ああ、似合ってるんじゃねぇのか。お前に。粉雪が」


「そうか」



返事を返すの声が少しだけやわらかいように感じる。
笑っているのだろうか。
だが、顔を見ようとは思わなかった。
今は視線を合わせたいとは思わない。
なんとなく、脳裏に描いたものを気づかれるのではないかと思った。

阿呆らしい。

そう自分自身に向かって心の中だけで呟く。

雪のイメージはなかった。
けれど、嘘をついてみた。
なんとなく。
なんとなくだが


同じものを背負っているのだと、思ってみたかった。


子供か、とも思うが今更訂正しようとは思わない。
言ってしまったのだからしょうがない。
きっと、この空間のせいだろう。
この部屋の一部だけ雪に埋もれた室内に降る粉雪が、そういう気持ちにさせたのだ。
今はそう思うことにする。


「粉雪、か」

「お前にはそのくらいが丁度いいだろう」

「そうだな」


そこで初めて声にだしてが笑った。
つられるように日番谷も口元だけで笑う。

やはりこれでいい。

決して口にはしないが、心の中だけで呟く。
と日番谷は暫くそのまま粉雪の降るその場所で空を見上げ続けた。
共に同じものを背負いながら。





《終》


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