淋しくなったら、俺を呼んで
魏に対抗する為、蜀と呉は手を組んだ。
蜀と呉の同盟が少しずつ動き出す。
同盟を組んでから、諸葛亮は孫呉へ赴き過ごすことが多くなった。
その護衛という形で墾甲もまた呉へと来ている。
もっとも、護衛というにはあまりにも気の抜けたもので。
諸葛亮自身が護衛を必要としていないせいと殆ど呉で与えられた部屋で一日を過ごすことが多いせいで、護衛というものの意味が殆どないのだ。
もしもの時の為とはいうものの、諸葛亮にとってそのもしもの時など予測済みだろう。その時はその時で諸葛亮自身から指示がある。
指示がなければ特にすることもない。つまり暇なのだ。
呉に赴いてからも特に諸葛亮から何か指示を貰ったわけでもない。
暇だといえば、出かけてきてはいかがです?とまで言われてしまうほどだ。
護衛などあってないようなもの。傍にいても諸葛亮にとって墾甲は空気のような存在だ。
信頼されてる証ではあるが、それと同時にいてもいなくてもどうとでもなると思われてる節もある。
傍にいて当然と思われているのか、それとも自分の行動範囲など予測済みなのか。
若干、呆れたように笑みを漏らせば墾甲は諸葛亮に言われたとおり出かけることにした。
そんなやり取りもあり、呉に来てからは墾甲はあらゆるところに赴いた。
呉に来て暫く経つが、気づけば顔見知りの武将が多くなった。
手が空いた時には稽古までしてくれるような相手もいる。
随分と馴染んでしまった、と思うもののそれを嫌とは思えないのも事実。
そんな時、蜀から少数ではあるが手勢をまとめて何人かの武将達が訪れた。
わざわざ劉備も訪れたこともあり、その日は随分とにぎやかな催しが行われた。
にぎやかな音がこだまする中、墾甲はそんな賑わいから外れた場所へと足を伸ばした。
そこは城の外で。中の賑わいが嘘のように静かな屋外。
空を見上げれば、雲ひとつない夜空がある。月も出ている為随分と明るい。
しかし、既に時期は寒さを伴う頃で。夜になればその寒さはより肌を刺激する。
その寒ささえなければ実に満足のいく夜だっただろう。
そんな冴え渡る夜空の下、墾甲はひとつの影を見つけた。
少し先に形のいい綺麗な岩がある。
その岩に座るように空を眺める人影がひとつ。
墾甲はその影を見やると出来る限り音を立てないように歩き近づいた。
そして岩に手をかけるとその人影の横へと座る。
「久しいな」
第一声はそれだった。
そう声をかけて人影のほうに顔を向ければ、相手も特に驚いた様子はなくこちらを見ていた。
想像通りの反応に墾甲は笑う。
「覚えているか?」
「前に一度。確か……呂布の所だな」
「正確には張遼に世話になったのだが、そんなところか」
「名を聞いていない」
「俺もだ。墾甲、字を伯竣という。お前は?」
「詩斗、と」
「今は呉にいるのだな」
「ああ」
なんの違和感も抱くことなくそこまで会話は続いた。
お互い顔は知っていた。だが、だからといって親しいわけでもなく。
かつてまだお互いが今所属している国に仕える前、一度だけ戦場を共にしたことがあった。
その時に顔を合わせた程度で。もしかしたら僅かに会話もしたかもしれないがそこまではもう記憶は薄い。
名前は知らなかった。この場で初めて名前を知った。
そのせいもあり、お互いを見る表情に懐かしさはない。
久々に見た相手に墾甲は、変わらないなという印象を持った。
目の前の相手は女性。かつてとは服装も違えば表情も若干違う。
ただその幼さは変わってはいない。あれから大分月日は経つというのに。
元々人ではないのでは、と思っていたので幼さが変わらなかったことに違和感は持たなかった。
しかし墾甲が変わらないと思ったのはその幼さが残っていたからではない。
では、どこが?と聞かれると感じた墾甲ですらも思わず首を傾げてしまう。
なんとなく直感のようなものだった。
そこでふと墾甲は不思議に思う。
彼女はなぜこのような場所に一人でいるのだろうか。
この呉に滞在してから、彼女の存在は知っていた。実際きちんと顔を合わせるのは今が初めてになるがそれらしい姿はたまに見ていた。
多分それは彼女も同じだろう。
たまに見る詩斗という女性はいつも誰かと共に行動している。
それがこの国の殿だったり、若い軍師だったり様々ではあった。少なくとも一人でいることは見たことがない。
見かけたときの雰囲気から孤独というものとは無縁かと思われるくらい、周りの人に馴染み、また周りの仲間も詩斗を包んでいた。
だからこそ、こうして一人でいることに疑問を抱く。
賑やかに盛り上がっている中、こんな静かなところへくれば自然と孤独感が襲うだろう。
それはきっと彼女も気づくはず。それでも一人になりたかったのだろうか?
それともただ息抜きをしにきただけだろうか。
一度感じた疑問は簡単には消えず、そのことで詩斗のことが気にかかってしまった。
墾甲は内心、苦笑を漏らす。
こういった部分がおせっかいだと言われるのだろうか。
そんなことを心の中だけで愚痴ると、ゆっくりと口を開いた。
「いつからここにいる?」
「さて、よく覚えてはいない。けど、長い間いたような気もするが」
「宴会には顔を出していないのか?」
「始めのうちは一通り回ったが、すぐにここに来てしまったな」
「息抜き……というには早すぎるな」
「そうだな。だが別にあの賑やかな雰囲気が嫌になったわけではないぞ」
「嫌ならもっと鬱々しい表情をするものだ。お前のその表情は落ち込んでいるようには見えん」
「……喜んでいいような言葉には聞こえんな」
「褒め言葉ではないからな。だが、貶している訳でもない。お前の雰囲気は変わっていない、というところか」
「なるほど」
随分と淡々とした会話だった。
性分もあるのだろうが下手に重々しい空気を背負われて言葉を交わすよりは随分と楽だった。
しかし、その分余計に頭に疑問符が浮かぶ。
あの宴会の空気が嫌になったわけでもない。息抜きでもない。
今の詩斗の雰囲気はいつもとは変わらない。
なら、ここにいる理由とはなんなのだろうか。
不思議には思うものの、それを率直に聞こうとは思わなかった。
それが触れていいものなのか、どうか判断に迷ったからだ。
暫くお互いの間に沈黙が続く。
その間二人の視線は夜空へと向けられていた。
静かな空間だが、沈黙の重さは感じられない。少なくとも墾甲はそう思っていた。
そんな時、不意に詩斗の方から口を開いた。
視線は上を向いたまま。
「意味はないんだ」
「なに?」
「意味はない。ただ、ここに来たかった。誰かと共にではなくひとりで」
「…………」
「決して何かを思って一人になりたかったわけではない……と思う」
「はっきりしないな」
「そうだな」
それはつまり、自分でもどうしてここにいるのかがわからないということだろうか。
なんとなく、でここまで来てずっとここにいるのだろうか。
その経路を想像して、墾甲は今度は表情に出して苦笑する。
笑った空気が伝わったのか詩斗が夜空から視線を逸らし墾甲の方を見た。
その表情は若干不機嫌そうだ。
「呆れたわけではない」
「なら笑われた意味がわからんな」
「笑ったわけではないのだが……そうだな。なんとなくと思って行動することは俺にもある」
「ほう?」
「後から理由に気づくこともあるし、なぜそういう行動に出たのかとうとうわからなかった時もあった」
「そういうものか」
「そういうものだ。……だが、今のお前の行動はなんとなくわかった」
「私がわからないのに、お前にわかるのか?」
墾甲が詩斗の方を向く。
顔を見合わせたとき、詩斗の表情は既に不機嫌さはなく素直に疑問を顔に出していた。
墾甲も苦笑ではなく、今は軽く笑みを浮かべている。
果たしてこれがあっているかどうかはわからない。
だが、こうではないだろうかという確信に近い気持ちはあった。
理由はわからないが。
墾甲は再び視線をそらして空を見上げた。
「前にも見たことがあるんじゃないのか?」
「え?」
「思い出したのではないのか?これを見上げて、かつてのものを」
「…………」
「寒い分、目を奪われるほど綺麗に輝くこの夜空に似たものをかつて見たことがあるのではないか」
「……ああ」
墾甲の問いに、知らず詩斗は小さく声を漏らした。
そうして空を見上げる。
眩いほどのその星空は見ていて落ち着くものだった。
こんな夜空をかつても見たことがある。
言われて初めて気づいたそれだが、納得すると同時に僅かに心が霞んだ。
見上げた空は確かに以前も見たことのあるような夜空だ。
遥か昔、まだこの地に足をつける前の懐かしい土地で。
こんな夜空を見上げる時は決まって、あることをした後だったような気がした。
心が歪む。
表情には出ない。もう昔のことだ。
懐かしい、という感情ではない。懐かしむような思い出ではなかった。
ああ、だからかも知れんな
なぜ一人でこの夜空を見ていたのか。
この夜空を見上げて感じるものを誰かと共に見たくなかったのかもしれない。
果たしてこれは感情なのか。
自分でもよくわからない気持ちをどう説明すればいいだろう。
黙って見上げるばかりで言葉が出てこない。
僅かだが戸惑った。
だがそんな時、不意に頭の上に温かいぬくもりを感じた。
思わず視線が空から隣の男へと移る。
少しだけ視線がこちらに向いている墾甲がいた。
頭に感じた温もりは彼の手の体温で。ゆっくりと撫でるようにそのぬくもりが頭を包む。
「質問として聞いたが、答える必要はない」
ただなぜここに一人でいるのかが気になっただけだから、と墾甲は言葉を続けた。
詳しい理由まで知ろうとは思っていなかった。
先程の問いに答えない詩斗を見て、自分の言ったことが当たったのだろうと確信した。
それだけで十分だった。
「だが、もう一つだけ聞いていいか?」
「構わないが……なにを?」
「俺はここにいてもいいのか?」
思わぬ問いに墾甲を見ていた詩斗の目が僅かに開く。
視線だけ向けていた墾甲はゆっくりと顔を動かし、しっかりと詩斗の顔を見た。
そして笑う。
けれどその目はしっかりと詩斗を捉え、先程の問いが曖昧なものではないことを示していた。
どう返すべきか。
一瞬、詩斗は迷ったがここに墾甲がいて特に居心地の悪さは感じない。
少しの間を置いて詩斗は頷いた。
もう一度墾甲は笑う。
それは今までの彼らしい笑いというより、どこか柔らかい優しい笑みだった。
「私は」
「俺はお前を知らん」
きちんと言葉にしようとした時、それは墾甲の言葉で遮られた。
遮られたこともそうだが、彼が口にした内容にも詩斗は驚いた。
思わずそのまま黙り込んでしまう。
墾甲の言葉は続けられた。
「この夜空に何を感じているかも知らん。だが、それを追求するつもりもない。俺は昔のお前を知らんからな」
「…………」
「今のお前のことを詳しく知っているわけではない。だがそれは聞いてどうにかなるものでもなかろう」
「うむ、それもそうだが……」
「昔のことは既に過ぎたことだ。これからのことはまだわからん。今は今であるしかない」
「…………」
「今このときのお前は知っている。俺にはそれで十分だ」
はっきりとした意思だった。
優しい笑みが力強いものに見えた。
思わずその笑みに惹かれるように詩斗が墾甲の名前を呼ぼうとした時。
頭に置かれた手に力が入った。
不意の力に押された方向に素直に体が動く。
トンッと額が何かにぶつかるとそこから頭に置かれた手を同じぬくもりが伝わってきた。
額から全身を包むように温かさが伝わり、それを感じてから気づく。
彼の羽織っている外套が全身を包んでいる。寄りかかるように引き寄せられ、それを支えるように手が回されていた。
ぬくもりが伝わったことで、さらに気づいた。自分が思いのほかこの寒さで冷えていたことを。
詩斗は墾甲を見上げる。
そこには先程と変わらない表情をした墾甲が詩斗を見下ろしていた。
「今だからこそ、お前を包んでやれる」
「…………」
「何を思っているかは知らん。だが、こうしてふらりと一人になると自然と淋しさが付きまとうものだ。たとえ自分がそう思っていなくとも」
「淋しさ、か……」
「そう自分が感じていないかもしれん。深く追求はするな。知らぬなら知らぬままでいい」
「そういうものか?」
「まぁ、俺はそう思っているが。少なくともお前は今は二人でいることを選んだ。一人より二人を選んだわけだ」
「…………」
「あまり一人になるな」
その最後の言葉は今までの言葉よりも強く感じた。
思わず詩斗は墾甲の顔を凝視してしまう。
僅かにその顔が近づいたような気がした。
「一人は似合わん。どうしても一人になりたいときは……」
「なりたいときは?」
「俺を呼べ」
墾甲が笑う。
いつも閉じられている傷を負った片目も今は開いていた。
その両目を見たとき、強い意志も感じられた。
墾甲の言葉が力強く、自然と納得してしまうような力を感じた。
力強い瞳だが、そこの浮かべている笑みはどこまでも優しい。
伝わってくる温かさと同じものを感じる。
墾甲の言葉は続く。
「一人になりたかった時、淋しくなった時、俺を呼んでくれ」
「お前を?」
「そうだ。だが、いつも来られるわけではない。俺は蜀の人間だ。お前は呉の人間だ。同盟の為今はここにいるが、いつまでもここにいられるわけではない」
「そうだな」
「いずれ別つ時がくる。だが、その時がくるまではきっとここにいるだろう」
「…………」
「ここにいる間はいつでも呼んでくれ。お前の為に俺は駆けつけよう」
「だが、お前は諸葛亮の護衛ではないのか?」
「あいつが淋しさというものを感じて俺を頼るわけなかろう?」
思わず声を出して笑う墾甲に、詩斗もそんな諸葛亮を想像してしまった。
迂闊にも笑いがこみ上げてくる。
墾甲につられて笑いを漏らせば、墾甲は嬉しそうに詩斗の頭を撫でる。
「そういうことだ。俺はお前の味方だ。少なくともここにいる間は」
「墾甲」
「一人になるな。俺を呼べ」
「お前の為に俺は駆けつけよう。お前の為に傍にいる。俺を頼ってくれ、詩斗」
両手に力を込めて、それでも優しく墾甲は詩斗を抱きしめた。
引き寄せられるままぬくもりを感じていると、ふと腕の間から漏れる自分の息が白いことに気づいた。
墾甲の口からも白い息が吐かれる。
それを見て初めて先程よりも寒さが増したことに気づいた。
それから僅かに顔を上げて空を見上げた。
そこには変わらずの夜空がある。
先程とまったく変わらない。
けれども、先程と今では感じるものが違っていた。
温かい。ぬくもりを傍で感じる。
体に感じるそれは心にまで伝わってくるようで。
空を見上げながら詩斗は僅かに笑みを零した。
それから白い息を吐きながら小さく呟いた。
「ありがとう」
いまだに感じていた感情の正体はわからない。
けれども、こうして与えてくれるぬくもりは確かに心地よかった。
その思いをのせて、詩斗は墾甲に小さく礼を言う。
それに対して墾甲は笑うことで答える。
寒さが増すこの外気の中。
二人はそのまま暫く夜空を見上げていた。
淋しくないよう、二人で共に。
《終》
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伊都さんに捧げる墾甲です。いかがでしょう?
なにやらmy妄想炸裂ですいません…っ!詩斗さんの立場という感じのものまで書かせて頂きましたが、あくまで私のイメージですので間違っていたらすいません。
夜空のイメージは、仙人としての詩斗さんのイメージをこう、仙人としての詩斗さんも書いてみたk(黙れ)
呂布軍でのことは、あまり描写しないようにしましたが、お好きなようにご想像していただければありがたいかと。
こんな墾甲はいかがだったでしょうか?墾甲なりに口説いてみたつもりです!(こら)
何か間違いがあれば、遠慮なくご指摘くださいませ!
そして楽しんでいただければ幸いですv
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